フランスの豊臣秀吉ナポレオン

歴史雑記
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ノートルダム大聖堂の火災について、心よりお見舞い申し上げます。

日本でも地震で被災した熊本城が、元の姿に戻るまで10数年と言われてますが、少しずつ在りし日の姿を取り戻しているので(*^^*)フランスもきっと大丈夫‼

歴史的建造物は国を越えて後世に残っていって欲しいですね、明治維新で過去の日本人がめっためたに破壊しまくったレガシィは戻って来ませんからね・゜・(つД`)・゜あ~勿体な。

さて、ゆっさんは日本史だけではなく西洋史にかぶれていた時期もありました。

主に16世紀のハプスブルク家の女性を中心に傾倒していたので、フランスはブルボン家までしかかじってませんが、ノートルダム大聖堂はフランスの英雄ナポレオンとその妻ジョセフィーヌの戴冠式が行われた場所で、とても有名な絵が残ってます。この絵を見るだけでもノートルダム大聖堂がどれだけ重要な文化財かわかります。


日本の義務教育でも習う位有名なフランスのスーパー革命児ナポレオンと、我が国のシンデレラボーイ豊臣秀吉には実はいくつかの共通点があるんですよ( *´艸`)今回はそんな二人の共通点についてまとめてみました。

①天下人である

【豊臣秀吉】本能寺の変で織田信長が自害したのち、謀反人明智光秀を討ち天下統一しました。

【ナポレオン】フランス革命の混乱の中、市民の自由や平等などの法律を定め国民投票によって皇帝になりました。

②身分コンプレックス

【豊臣秀吉】足軽の子とも農民の子とも言われていて、天下を統一してからは、身分コンプレックスで官位にやたらこだわり、ついには公家の最高位関白となりました。

【ナポレオン】下級貴族の子で、幼小期通っていた貴族学校で身分の高い級友と馴染めなかったそうです。

③身分の高い女性への憧れ

【豊臣秀吉】最愛の側室と言われる茶々(淀)織田信長の妹の娘で浅井三姉妹として有名です。彼女についてはまた書きますが、その他にも秀吉は身分の高い女性を多く側室にもちました。

【ナポレオン】最愛の妻は冒頭のジョセフィーヌだったと思いますが、ナポレオンは皇帝になっても自身の家柄にコンプレックスがありましたした。そこで自身の血統を確かなものにするためにジョセフィーヌと離婚して名門ハクスブルク家のプリンセス(マリーアントワネットの実家)マリールイーズと結婚しました。

当時、日本もヨーロッパも女性ってそんなにフリーダムじゃなかったはずなんですが( ;∀;)茶々ジョセフィーヌマリールイーズもなかなかのビッチエピソードを持っているので、そっちのほうも若干リンクしちゃってます。が、秀吉の正室『寧々』は賢婦人だったので女性関係では秀吉のほうが幸せだったのかな?ナポレオンは笑えない位惨めなエピソードがけっこうあります。

④100日天下

100日天下とはナポレオンが失脚したのち、かえり咲きしたものの95日でまた失脚した事を表す言葉ですが、豊臣の時代もボナパルト朝も短命でほぼ1世代限りでした。

そして秀吉とナポレオンの正室の息子は奇しくも同じ21歳で亡くなってます。

出生や、出世、その後の顛末など偶然なんでしょうけどリンクする部分が多くちょっとびっくりです(;’∀’)調べればもっとあるかも?ですね。

それではまた(・∨・)ノ

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