4月27日雨が降りしきる中迎えた10連休初日、高速を下れど下れど雨は止まず、ハラハラ”(-“”-)”させられましたが会津に入ると雨は止んで青空に(*^^*)
歴史好きの男性と歴史好きの女性との違いに城があるそうで、男性は探索しながら、どうやってこの城を落とそうか思いを巡らせたり、図面から要塞としての機能に当時を馳せる方が多いそうです。
私なんかは、石垣を見て積み方が色々あっておもしろいな~とか、当時の技術や知恵に純粋に感心したり、人間臭さを感じたり、そこで過ぎた時間の名残を多く見つけたいと、感じるままに散策するんですが、女性は同じような方が多いように感じます。
鶴ヶ城は会津戦争で籠城に耐えた松平容保公のお城。
全国唯一の赤瓦のお城という予備知識ゼロに近い状態で行ったので、会津入りしてから城下町の独特感はあるものの、物足りなさを感じたのが正直なところでした。
それもそのはず!鶴ヶ城は東北一の規模を誇る城郭で元々は広大な外堀があったそうで、内堀との間の広大な廓に家臣団が住んでいたそうです。
しかし会津戦争後斗南移封が決まり、家臣団の多くが青森に移り住んだため外堀内の廃退は進む一方でした。
この地に残った庶民達は着々と復興を進め、それとともに外堀を埋め立てて廓内に流入して、独自に町づくりしたため現在の町並みになったという事です。
成程‼やっぱり歴史は奥深い(; ・`д・´)
会津城は伊達政宗や上杉景勝などの有名な戦国武将も住んでいた城で、もともとは当時の地名の黒川城と呼ばれていたそうです。
織田信長に
こいつ、ただもんじゃね~ぞこりゃ!よし、二女を嫁にやる
とまで言わしめた名将蒲生氏郷が黒川を故郷にちなんで会津と、城を強固に改築し家紋(舞鶴)にちなみ鶴ヶ城と名付け、築城とともに城下町を整備し商業を重点的に発展させ、会津と鶴ヶ城の礎を築いたそうです。
蒲生氏郷、軽くサーチした所、非の打ちどころがない名将じゃないですか!
ほとんど知らなかった(*ノωノ)
蒲生氏郷要チェックだわ(; ・`д・´)
キリシタン大名だった蒲生氏郷の兜とマント付き甲冑めっちゃかっこいい!
帰り道、会津戦争の面影が至るところに、弾痕が石垣にも。
日本最大の内戦の激戦区で、賊軍の汚名を着せられた会津藩、鶴ヶ城。
戦国を生き抜いた数々の名将が住んだ鶴ヶ城。
心に残る名城です。
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