三成公の生まれ育った滋賀県は甲賀忍者でも有名ですね(*^^*)
映画【関ヶ原】では伊賀者の初芽と相愛になりますが、これは家康が放った刺客のくノ一が、三成の愚直さに惚れてしまい家康を裏切って三成の側に仕えたという逸話がもとになってます。が、史実では確認されてません。
※個人的には宇多夫人一筋であって欲しいですw
そんな裏切り、陰謀が渦巻く戦国時代は忍者が最も活躍した時代でした。
関ヶ原敗戦後、三成の次男と三女は本州最北の弘前藩によって守られ、三女は二代藩主の妻となり、次男杉山源吾の家系は弘前藩の重臣となり、弘前藩を支えていく事になります。
そんなこんなで400年がたち、2016年に弘前で忍者屋敷?と思われる古民家が話題になりました。
現存する忍者屋敷は甲賀に一軒あるだけですので忍者屋敷だったとするととても貴重(; ・`д・´)
客室と寝室の間に人が隠れるスペースがあり、歩くと床がピヨピヨと鳴るウグイス張りが施されているそうです。昭和27年に前の持ち主が入居した際は薬草の匂いが強く残っていたそうです。
そこから弘前での忍者の研究が盛んになり、平和な江戸期他藩で忍者が衰退していく中、弘前藩で組織された忍者部隊「早道之者」は明治初期まで活躍していたことや、その忍者屋敷に藩政当時住んでいたのが三成の次男、杉山源吾の子孫のようだという事が解明されてきました。
「早道之者」は甲賀流忍者部隊で、三成の孫「杉山吉成」が創設したそうです。
三成の正室腹の男系は助命されましたが、長男と三男は仏門に入り子孫を残すことが叶わなかったので、弘前杉山家は三成の唯一の男系子孫です。
石田姓は捨てても成を受け継いでるのに石田三成の子孫の誇りを持っていたんだなと胸熱(*‘ω‘ *)
※長男は諸説あって、僧になった後妻だったと思われる女性が秘密裏に出産し、その子孫が現在石田家宗家を名乗っておられます。
弘前には毎年訪れますが、「早道之者」にはまだ触れていないので是非深めていきたいです。
石田ジブ忍に挑戦#忍者 #ハムハム武将 #ハムスター pic.twitter.com/v7e7X5CjF1
— ゆっさん (@6_nagi) June 29, 2019
家のジブ君、介抱の甲斐あって完全復活です。忍者みたい?(苦しいこじつけw)
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