スーパー官房長官 石田三成①

石田三成
スポンサーリンク

いや~新元号「令和」意外でしたね~

そして、菅官房長官好きです(^^)
さて、菅官房長官の晴れ舞台を見た所で
満を持して!石田三成です( 〃▽〃)好きすぎて当ブログにどうやって登場させようか悶々としてたんですが、菅さんに何となく似てませんか??え、似てない?
IMG_20190401_220131
ハイ、勢いで登場させてしまいました(^^)
三成はですね、豊臣秀吉の重臣で命をかけて豊臣家に尽くした人です。
※本当に命をかけて亡くなっておられます。
最後は徳川家康を相手に関ヶ原合戦をおこし、小早川秀秋の裏切りにより敗戦。
敗軍の長として市中引き回しののち六条河原で首を跳ねられ三条大橋にさらされてしまいます。
歴史は勝った者によって作られますから、従来は徳川主観の歴史から悪役になる事が多かった三成ですが研究が進み、今では腕利きの官房長官(当時そんな役職はありませんが)として知られるようになってきました。
だって掲げてるスローガン
大一大万大吉
(だいいちだいまんだいきち)
ですよ?どう考えても悪人の掲げるスローガンじゃないですよ!
【一人は万人のために
万人は一人のために尽くせば
人びとは幸せになれる】
戦国時代が終わり、豊臣秀吉が天下統一を果たし、世の中から私戦は無くなった。
三成はこのスローガンを旗印とし、関ヶ原に挑みました。
豊臣秀吉が天下統一を果たし戦国時代に終止符がうたれたものの秀吉亡き後世の中は一時的に荒れました。秀頼が幼い事を良い事に徳川家康が天下人の振るまいに出たのです。
三成は頭が良い人ですから、関ヶ原は勝つつもりで挑んだとは思うけど、家康が勝っても世の中は太平になると解っていたかもしれません。
ですが、三成にとっての大一は豊臣家で
彼は豊臣家の為に散って行きました。
そんな三成は【太閤検地】や【兵糧管理】など優れた頭脳で豊臣政権の事務方を担う官僚でした。
三成がどのようにして豊臣政権を支えていたのか少しずつ紹介していきたいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

石田三成
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
ゆっさんの雑記**歴史cafe**

コメント