明智光秀とは何者なのか?

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明智光秀とは

2013年の流行語大賞のひとつである林修氏の「今でしょ!」の前身である

「ときハ今」を431年前の1582年5月28日に日本史史上初めて登場させるなど、時代を先読みする力に長けた武将である。

光秀公Wikipediaより引用

若い頃の光秀公については実は現在も良くわかっていません。

生年も不明で、1528年美濃国(現在の岐阜県)で土岐氏の流れをくむ豪族の生まれなのでは?という説が多くの方の支持をえているようです。

そんな良くわからない光秀さんですが卓越した洞察力と明晰な頭脳をもってらっしゃったので士官先を鞍替えしながら理想の主君を求めていきます。

1556年に勃発した斎藤道三の親子喧嘩が元で明智城を追われた際、朝倉義景を頼ったのが世に出る足掛かりになりました。

10年ほど朝倉氏の元で過す中で室町幕府最後の将軍足利義明に気に入られ、直臣になります。

そしてついに1564~1566年頃、天下に最も近い男、織田信長に行きつきました。

光秀さん40歳前後の頃といわれています。

1571年本圀寺の変、比叡山の焼き討ちなどを経て近江に5万石の所領を得て信長様から厚く信頼されるようになります。

そして足利義明を見切り「出家するのでお暇をください。」などとと駄々をこねていた1573年、室町幕府の実質的亡滅により晴れて織田信長の家臣になりました。

出来る男光秀は破竹の勢いで出世し、1579年には丹波一国の国持大名になっています。

この時光秀さんは度々氾濫して住民を困らせていた由良川の治水工事をしたり、税金を免除して領内を安定させるなどの善政を敷いたため帝が善政を行ったとき現れるという神獣麒麟が見えたのかもしれませんね?

あれ?麒麟きちゃったよ( ; ゜Д゜)

天下人って俺なの??俺だったの?みたいな(^o^;)

はたまたここ数カ月折檻されたり、恥をかかされたり信長様に対して恨みを募らせていったのか?誰かにそそのかされたのか、光秀さん、この後あの大事件を巻き起こします。

1582年5月28日

天下を取るのは織田じゃねぇ土岐(明智)だ

と、愛宕山威徳院で行われた連歌会で信長に対する宣戦布告であると言われている

ときハ今、あめが下しる五月哉 の句を詠んだと言われています。

とき→土岐(光秀)あめが下しる(天下を取る)と解釈されていますが、本当の所は光秀さんにしかわかりません。

そして6月2日

敵は本能寺にあり

と光秀さんが言ったかどうかはわかりませんが、毛利勢を攻めると見せかけて信長様がほぼ丸腰(100人程の近衆しか連れていない)でネムネムしてる午前6時頃、本能寺を一万三千人で取囲みます。

寝ていた信長は異変に気付き応戦しますが多勢に無勢「(この謀反は)誰の仕業か?」と森蘭丸に尋ね「明智の軍勢と見受けられます。」との回答に「是非に及ばぬ」と一言だけ発したと言われています。

明智君の事だから用意周到で脱出は不可能だから自刃するほかないといった感じでしょうか・・・

織田信長は首を取られる事を防ぐため寺に火を放ち、天下統一を目前に自刃しました。

信長の嫡男も妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったがやはり館に火を放ち自刃。

光秀さん晴れて天下人です。

6月4日光秀さんは信長の居城安土城に入城し信長の財宝を部下に分与し、佐和山や長浜など

近江を順調に制圧していきます。

6月9日、御所などに金品をばらまいて絶賛明智キャンペーンを開催している最中、羽柴秀吉(豊臣)がチャンスとばかりにただならぬ速さで向かってきているという情報をキャッチします。

スーパー官房長官石田三成②
時は天正10年(1582年)6月2日本能寺の変である。天下統一を目前に戦国時代の風雲児織田信長は本能寺の灰とな...

光秀さんの運はここまででした。信長の首が上がらなかったことが響き(当時は首根っこが何より重要でした。)本当に信長様はやられたのか?と思うように見方が集まらなかったのです。

娘玉(ガラシャ)の嫁ぎ先、細川親子(豊臣秀吉と連絡を取っていた)をはじめ、多くの武将が事の行く末を気にして煮え切らない態度を取りました(関ヶ原とおんなじですね)。

そうこうしているうちにWi-Fiも無い時代に光の速さで現れた羽柴秀吉(豊臣)にあっけなく敗れてしまいます(山崎の戦い)敗走の最中落武者狩りにあったとも、力尽きて自刃したとも言われています。

現在、頂点に達したのに直ぐにその座を奪われてしまう事を三日天下と言いますが、言うまでもなく光秀さんが由来です。

11日も天下に君臨していたのに語呂の悪さから3日にマイナーチェンジされたのは残念だけど(._.)

時代を超えて数々の流行語を生み出し、記念すべき2020年の大河を勝ち取った明智光秀は歴史の勝者なのかもしれないですね。

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