戦国時代といえば戦、戦といえば武士
ですが戦国時代、戦において兵の3人に2人は農民だった事もあったそうなΣ(゜Д゜)ナントマア
常に武士を抱えていたらお金がかかるから、戦の時に一時的に人を集めていたという事でしょうか(‘_’?)
この時代は、農民も戦があると領主から兵としてかり出されたり、近隣の農民らといざこざがあったりで武装していました。
三英傑はこの兵に対してどんなレボリューションをおこしたのか?(・_・;?
織田信長(兵農分離)
豊臣秀吉(刀狩り)
徳川家康(武家諸法度)
織田信長は、今まで期間限定のバイトで領地から兵をかき集めてたのを、常時雇用にして城下に住まわせ平時も弓や槍などの戦の鍛錬に集中させました。
農民は農繁期になると戦に出ても田んぼが気になって仕方ありませんでしたが、戦う事だけに集中できるプロを作った事で、農民は農業に専念し、武士は戦で高い戦闘力を発揮する事が出来るようになりました。
豊臣秀吉の時代になると兵農分離が進み、農民の帯刀を禁止しました。
天下を統一したので武士も軟弱になっていきましたが、悪政に不満を抱く民衆の反発(一揆)を抑える目的もあったのかもしれません。
徳川家康の時代は士農工商でハッキリとした身分制度が敷かれ、武士と農民にはもはや歴然なる差がありました。
豊臣家のように崩壊する隙を与えぬように、家康はお坊さんと豊臣時代からあった掟を更に強化した武家諸法度を発し諸国の兵を束ねる大名を縛りました。
士農工商、今は教科書に載ってないらしいです!!(゜ロ゜ノ)ノ
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