日本一の挑戦状「直江状」③

戦国色々
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さて、家康は「直江状」に激怒!会津征伐に発展します。
そしてこれが「関ヶ原合戦」の幕開けになるんですが、一体どんな事が書かれていたのか?!
丁寧な文体の中に突如フランクな表現が入ってたり、手紙としては余りに無礼な物で、なおかつ原本が残って無いので、作り話なんじゃないの?とも言われています。
真相はわかりません、だから、歴史はおもしろい!
なかなか長いです(;・∀・)
古文知らないので(爆)完璧じゃないのは許して下さい。
家康にこんな手紙を書いた(かもしれない)やつがいたんだ~位に思って下さいね(^^)
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今月はじめのお手紙、昨日13日によ~く拝見しました。

いや~愉快愉快。
我々についての色々な噂話を内府様(家康)は真に受けて、物騒な事を考えてるようですけど、京都と伏見のような近場であっても噂はたつものです。
うちははるか遠方ですから尚更の事、景勝は弱輩だから
「あ~景勝ならあり得る~」と信じたのでしょうけど、そんな簡単に真に受けないで頂きたい。
景勝の上洛が延び延びになってることが怪しいとの事ですけど、うちは一昨年に国替えして直ぐに上洛。去年9月に帰国してまた正月に上洛しろなんて、これでは国許の仕事が出来ないし、部下達に指示を出す暇も無いじゃないですか。
とりわけこっちは雪国ですから10月から3月は何も出来ません。そっちに居るうちの者に聞いて見てください?そうすれば景勝が謀反を企ててるなんて事が只の憶測だったとわかるでしょう。
景勝は誓って謀反は起こさないと、去年から何度も起請文(約束を破りませんと神仏に誓ったもの)を書きましたよね?あれ信じてもらえないなら起請文意味無いですよね?
太閤殿下(秀吉)は景勝を義理固く他人を慈しむ人だと評してくれました。
それは今も変わっていません。
世の中では約束した事も決まった事も直ぐに変わってしまい、定まる事はないようですが
(家康は秀吉亡き後、直ぐに決まりを破り約束に反する事をした)
それと一緒にしないでくれませんか?(つまりはお前と一緒にすんな)
景勝には毛頭そんな気持ち無いですけど、噂を確かめもせず「景勝、お前謀反考えてるよね?めっちゃ怪しいんだけど」などと書状をよこすなんて善悪を論ずるに値しないですよ?
いい加減な仕事しないでもらえますか?
そっちの怪しい奴を調べる事もしないでこんな事をしたんであれば、内府様こそ裏があるようにみえますけどね。
前田利長さんにも思うがままに難癖つけて従わせたそうじゃないですか。いゃ~ご威光ハンパ無いですね~凄い凄い。
増田長盛さんと大谷吉継さんが出頭した旨詳しく聞きましたが、不自然です。
用があれば自然と赴くもの、榊原康政さんがうちとお宅の取り次ぎ役なんだから、景勝の動きが怪しいと、康政がお宅に申すが筋じゃないですか?掘秀治の戯言をただ信じるのではなく、そっちに居る人が正しいのかうそつきなのかまずきちんと判断して下さい。
上洛が延び延びになってるから噂になってるだけの事。
我々が武器を集めているとの事ですが、そちらの武士がこぞって集めてる茶器などの優美な物が、私たち田舎者に似合いますか?田舎者は田舎者らしく鉄砲や弓を集めているだけ、天下人はいちいちそんな事気にしない物だと思いますけどね。
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これで3分の1位かな?
長いので分割します、、、、
嘘ですw疲れたので分割します( ;∀;)
では、次回
日本一の挑発状「直江状」最終回?!です。

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